従業員(労働者)は労働力を売る。経営者(使用者)は労働力を買う。
労働力って何?
仮に時給制のお給料なら、拘束時間=労働力と言えなくもないのですが、やはり、拘束時間だけでは足りません。
労働契約法には、労働者には労働提供義務があり、それは誠実労働義務も含まれていると書かれています。
つまり、拘束だけではなく、誠実に、一生懸命に働く義務も含まれています。
少しややこしいのが、成果給です。
従業員が成し遂げた成果に対してお金を払うとありますが、なら、成果が出た後は遊んでいても良いのか?
仕事の効率が上がるからとテレワークでもないのに自宅で仕事をしてよいのか?
「成果を出しているのだからほっといてくれ!」という理屈も成り立ちます。
現実には成果給でも誠実労働義務はありますし、会社の指示に従わなければなりませんが、いくら義務があっても、よほど不真面目でない限り誠実に仕事をしているかどうかなんて本人にしか分かりません。
労働組合時代に思っていたことなのですが、ストライキよりもサボタージュ(仕事をさぼること)のほうが経営にとってはダメージが大きいと思います。
ストライキは期限を決め、経営者に通告して労働を拒否することです。ストライキが終われば、いつものように働きます。
しかし、サボタージュはやろうと思えばいつでも出来る、いつまでも出来るのです。
いつもよりも作業効率を落として「今日は少し体調が悪くて」とか、トイレに行くときに少し休憩していくとか、残業代目当てにわざと仕事を遅らせて残業に持ち込むとか。
従業員の仕事をよほどきちんと管理できていなければ、サボタージュを把握するのは難しいです。不可能かもしれません。
主導権は従業員にある!
つまり、誠実に仕事をさせるのは、いくら法律上の義務とはいえ、従業員の心づもり一つなのです。主導権は従業員にあり、その主導権を奪うことは出来ません。
それは、ボトムアップにも同じことが言えます。
誠実労働義務がある以上、誠実にボトムアップも行う必要があります。
しかし、ボトムアップは自発的なものです。どんなに「改善のアイデアを出せ!」「意見を述べろ!」と高圧的に指示を出しても、「アイデアはありません」「意見はありません」と言われたらどうしようもない。
例え心の中では、アイデアも意見も、たくさん持っているとしてもです。
人の心の中は読むことはできません。
自発的なものである限り、アイデアや意見を出そうという気にさせなければなりません。
それは、心の中をさらけ出す作業でもあります。
「こんなアイデアを良いの?」「こんな意見を言えば笑われるのでは?」こんな感情が出てきます。
心の中をさらけ出せるのはどんな状況でしょうか?
親しい友人とお酒を飲みながら。ケーキを食べながら。
家族との一家団欒。
ツイッターの裏アカウント。なんて場合もあるかもしれません。
これらに共通するのは、何でしょう。私が思うには「安心」です。
「安心」が無い状況で、自分の心の中をさらけ出すのは無理だと思いませんか?
中国で新型コロナウィルスの脅威を最初に警告した若いお医者さんが処罰を受けたというニュース。
後に、そのお医者さんは新型コロナウィルスに感染し、お亡くなりになるという非常に痛ましいニュースでした。
このお医者さんは正義感からの警告だったのでしょう。
その後、名誉は回復されたそうですが、中国当局は処罰の前例を作ってしまいました。
最初に警告する義務はありませんし、仮にあったとしても見て見ぬふりもできます。黙っていれば責められることはありません。
仮に、これから先、中国で同じような新しい伝染性の病気が発生したときに、その脅威を最初に警告するお医者さんは現れるでしょうか?
自主的なボトムアップを促すには?
従業員からのボトムアップにも同じことが言えます。
従業員は、市場の変化や現場の問題点を黙っていても責められることはありません。
黙っていても構わない中で、どのようにして心の中をさらけ出すという嫌な事をさせることが出来るでしょうか?
しかし、一方で、人は自分の意見を聞いてもらいたいという欲求もあります。自分の意見を認めてもらいたいという欲求もあります。
学校ではおとなしい子供が、自分の家族には饒舌に話すということがあります。
子供だけではなく、私たち大人だって同じですね。
安心できる人、安心できる状況があると、心の中をさらけ出すことに抵抗を感じず、意見を聞いてもらいたいという欲求、意見を認めてほしいという欲求が表に出てきます。
つまり、どれだけ組織の中で、心の中をさらけ出すことが出来る「安心」を与えることが出来るでしょうか?ということが、ボトムアップの最大のテーマになります。
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